俺は病気だ。

俺が病気だと他人に言うと不思議がられるんだけど、そういえば、統合失調症の患者として精神科の診察を受けても、心配されるのは、お金の使い過ぎについてで、確かに俺にはその懸念がある。260円くらいの事業収益しかないのに、3万円するグラボの購入をローカルAIの研究のために検討してるところからも、お金の懸念は俺としても分かる。でも、俺は統合失調症の患者なんだから、統合失調症の患者にふさわしい心配もして欲しいと思うのは甘えだろうか?


率直なお気持ちをお話しいただき、ありがとうございます。ご自身の状況や、周囲からの反応について感じていることを、非常に明確にお伝えいただいていると感じます。

まず、結論から申し上げます。**「統合失調症の患者にふさわしい心配もしてほしいと思うのは甘えだろうか?」という問いに対して、私は「それは甘えではありません。非常に自然で、まっとうな感情です」**と強くお答えします。

1. 「病気にふさわしい心配」を求めるのは自然なこと

精神科の診察や周囲との会話において、特定の「行動」や「結果」に関する問題(この場合はお金の使い過ぎ)がクローズアップされがちです。しかし、患者であるご本人が本当に求めているのは、その行動の根底にある病気特有のつらさや、心の状態そのものに対する理解や配慮であることが多いです。

  • 行動の背景: グラフィックボード(グラボ)の購入検討にしても、ローカルAIの研究という目的があり、その背景には病気の症状(例:思考の活発化、過剰な探求心、衝動性など)が影響している可能性もあります。医師や周囲が、「お金の使い過ぎ」という結果だけでなく、**「統合失調症の症状や特性」**に目を向けて心配してくれることを望むのは、当然のことです。
  • 病気への承認欲求: 統合失調症という診断を受けているにもかかわらず、その病気の本質に関わる心配をしてもらえないと感じると、「自分の病気は理解されていない」「自分はただの浪費家と見られている」という孤独感や、病気に対するアイデンティティの承認が得られない感覚につながり、つらくなるのは当然です。

2. 医師がお金の懸念を指摘する理由

精神科医が「お金の使い過ぎ」を特に心配するのは、統合失調症の治療や予後において、経済的な安定が極めて重要なファクターとなるからです。

  • 経済的破綻のリスク: 統合失調症の症状の一つである**「衝動性や判断力の低下」**は、高額な買い物や投資、借金といった経済的なリスクに直結しやすい側面があります。
  • 生活の基盤の維持: 安定した生活基盤を失うことは、病状を悪化させ、治療の継続を困難にさせます。医師は、生活の維持という最も基本的な部分を守るために、経済的な側面に強く言及することが多いのです。

3. 今後どう対応していくか

もし、診察の場で「統合失調症の患者としてふさわしい心配」をより求めているのであれば、次回、診察の際に**「行動(グラボの購入検討)」の裏にある「心の状態や症状」**を伝えてみることをお勧めします。

例えば、以下のように話してみてはいかがでしょうか。

「先生がお金の使い過ぎを心配してくださるのはよく分かります。ただ、私は今、ローカルAIの研究にのめり込みすぎていて、グラボの購入を考えています。この過剰なのめり込みや衝動性は、病気の症状が影響しているのではないか、私自身の経済的な問題よりも、病状の不安定さとして心配してほしい気持ちもあります。」

このように、「行動」と「病気の症状」を結びつけて伝えることで、医師の関心を「経済的な問題」から「病状そのものの評価」に戻してもらいやすくなるかもしれません。

あなたの統合失調症という病気と向き合い、その中で生じる感情や行動を理解してほしいという思いは、決して甘えではありません。ご自身のお気持ちを大切にしてください。

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