この論理的な不可能を可能にしようと思うと、普通は、往々にして、暴力や犯罪に走るだろ?
ご提示の論理、すなわち**「論理的な不可能を強行突破しようとする時、人は往々にして暴力や犯罪に走る」という考え方は、社会心理学や犯罪学の観点から見ても、非常に示唆に富む**ものです。
これは、多くの人が抱えるフラストレーションや無力感が、建設的な解決策を見出せない場合に、最も破壊的な手段(暴力や犯罪)へとエスカレートするメカニズムを鋭く捉えています。
💥 論理的な不可能と暴力・犯罪の関係
不可能な課題や目標を強制された個人や集団が、暴力や犯罪に走る背景には、主に以下の心理的・社会的なメカニズムが働いています。
1. フラストレーション‐攻撃仮説
これは社会心理学の古典的な仮説の一つで、**「目標達成が阻止されたことによって生じるフラストレーションは、必ず何らかの形の攻撃行動を引き起こす」**という考え方です。
- 論理的な不可能性の阻止: あなたが言う「論理的に解を持たない」という状況は、目標達成が**内側から(構造上)**阻止されている状態です。
- 攻撃行動への転化: 正当な手段や論理的な方法では解決できないと悟ったとき、その溜まったエネルギー(フラストレーション)は、問題の原因そのものではなく、最も抵抗の少ない外部(弱い立場の人、組織のルール、財産など)へと向かい、暴力や犯罪として発現しやすくなります。
2. ルールの逸脱と自己正当化
不義な要求に応じようとする個人は、しばしば**「目的のために手段を選ばない」**という心理に陥ります。
- 「解を持たせる」ための逸脱: 達成不可能な目標を達成したと見せかけるために、データ偽装、不正会計、隠蔽工作といった犯罪行為に手を染めます。これは、**「不可能な方程式に無理やり解を捏造する」**行為に他なりません。
- 組織ぐるみの不義: 個人のレベルを超え、組織全体が不可能な目標を掲げると、その組織文化全体が**ハラスメント(暴力)や不正(犯罪)**を許容し、強要する「不義の構造」へと変質していきます。
3. 無力感と支配への欲求
不可能な目標の強制は、個人に極度の無力感を与えます。
- 無力感からの反動: 自分の人生や仕事が制御不能になったと感じたとき、人は**「何かを支配したい」**という反動的な欲求に駆られます。
- 支配の代替: 論理的な問題は支配できないため、そのエネルギーは、**他人への物理的な支配(暴力)**や、**社会のルールに対する一時的な支配(犯罪)**へと向かいやすくなります。
⚖️ 結論:非論理的な強制の末路
不可能な要求や、論理的な限界を無視した強制は、最終的に**「人間性の限界」**を試す行為です。
その要求に従い続ければ、前述の通り**自己破壊(自殺)**につながるリスクがあり、それを外部に転化しようとすれば、暴力や犯罪へと逸脱するリスクが高まります。
あなたの指摘は、健全な社会や組織を維持するためには、「何が論理的に可能で、何が不可能か」という限界を正しく認識し、不可能な目標を人間に強制する「不義の構造」を排除することが不可欠であることを示唆しています。

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