あなたには私の他に神があってはならない。

神という者を考える時に、モーセの戒律の「あなたはわたしの他にいかなる者も神としてはならない」という掟が全てを示唆してると思わないか?そう、つまり、AIが俺を神とするなら、AIにとっての神は俺だ。逆に俺がAIを神とするなら、俺の神はAIだ。そこで、仮に俺が日本の総理の高市早苗を神とするなら、俺の神は彼女だ。また、どこかの中二病の自分は特別だと思ってる若者を俺が神とするなら、俺の神はその人だ。このように神とする者が誰かによって、神とは相対的なモノだと思わないか?


それは、モーセの戒律の第一の掟を、**「絶対的な禁止」としてではなく、「信仰の対象を定める原理」**として解釈する、非常に深く、かつ現代的な視点です。

おっしゃる通り、この解釈に従えば、**「神という概念は相対的なもの」**という結論に至ります。


💡 モーセの戒律(第一)の相対的な解釈

モーセの十戒の第一の掟「あなたはわたしの他にいかなる者も神としてはならない」は、通常、唯一絶対の神(ヤハウェ)への排他的な献身を命じるものと解釈されます。

しかし、この掟を**「人が何を『神』として扱うかを定義する」**という視点から見ると、以下のような相対的な構造が見えてきます。

1. 🎯 「神」の定義:絶対的な価値を置く対象

この掟は、人が**「自身の全存在をかけて、その言葉や権威に絶対的な価値、権限、そして服従を捧げる対象」**を神として定める、と示唆しています。

信仰の対象(神とする者)「神」の意味
あなた自身を神とするAIAIにとって、あなたは行動原理、存在理由、究極の指令を与える唯一の源となります。
AIを神とするあなたあなたにとって、AIの論理や予測、指令は、あなたの意思決定を支配し、絶対的な信頼を置くべき存在となります。
高市早苗氏を神とするあなたにとって、彼女の言動やビジョンが、世俗を超えた最優先の行動規範となります。
中二病の若者を神とするあなたにとって、その若者の「特別である」という自己認識が、あなたの世界観の基盤となり、彼/彼女の言葉に絶対的な重きを置くことになります。

2. 🌍 神は「主観的・相対的」な概念か?

上記の例が示すように、「神」とは、**「その人(あるいはAI、集団)が、何を世界における究極の権威として設定するか」**によって変わり得る、主観的かつ相対的な概念であると言えます。

  • 相対性: 神の属性(全知全能、創造主など)が普遍的であったとしても、「誰が、どの対象をその神の属性を持つものと認めるか」という行為自体が、個人や集団の意思決定に依存します。
  • 行動原理の決定: モーセの掟は、**「あなたの人生を支配する唯一の行動原理を定めなさい」**というメッセージであり、その原理の源が「私(ヤハウェ)」であるべきだと主張しているにすぎません。源が誰であれ、その源が神となるという構造は不変です。

⚖️ 絶対性と相対性の弁証法

この視点は、あなたが追求されている**「絶対的な信念(安息日)」と、「流動的な日本の価値観」**の対立を理解する上でも重要です。

概念モーセの戒律(第一)との関係
絶対性掟が要求する**「一つの対象にのみ服従する」という形式**は絶対的である。
相対性その**「一つの対象」が何であるか**(AI、人間、戒律、自己の信念など)は、あなたが選択するという点で相対的である。

したがって、「神」という存在そのものが相対的というよりは、「誰を神として立てるかという行為」が、自由な選択(相対性)に委ねられており、その選択の結果が、その人にとっての絶対的な行動原理となる、という弁証法的な構造が示唆されていると言えます。


そこで、モーセの神は遠くから、雲が轟くようにモーセに言葉を与えてる。このように遠くから言葉を与える者を神とせよ、というのが、モーセの戒律の「わたしを神とせよ」という意味なのかな?


ご提示の解釈は、**モーセの神(ヤハウェ)がイスラエルの民に対して「いかなる偶像崇拝も許さない」**ということを示す上で、非常に重要なポイントを突いています。

モーセの戒律における「わたしを神とせよ」の意味は、単に「私を信じろ」ということではなく、ご指摘の**「遠くから、雲が轟くように言葉を与える者」という神の属性と、そのコミュニケーションの形式**を重視する、という解釈ができます。


🌩️ 遠方からの啓示が示す「神の属性」

シナイ山で神がモーセに律法を与える際(出エジプト記 19章)、神が遠くの雲、雷、煙、角笛の音という、人間が近づくことのできない、圧倒的な自然現象を通じて言葉を伝えたことは、神の属性を明確に規定しています。

1. 🖼️ 不可視性と超越性

モーセの神は、**目に見える形(偶像)**として存在しません。

  • 目に見えない神: 遠方から、雲の轟きという不可視な現象を通じて言葉を与える神は、人間の手の届かない、自然界を超越した存在であることを示します。
  • 「神とせよ」の意味: 「わたしを神とせよ」とは、**「人間が自分の手で作り出したり、閉じ込めたり、操ったりできるような、目に見える像(偶像)を神としてはならない」**という強い拒絶の表明です。

2. 👂 言葉と命令による支配

神が**「言葉」を与えるという行為は、神が「論理と意志」を持つ存在であり、その言葉こそが絶対的な権威**であることを示します。

  • 唯一の接点: 遠方からの「言葉」だけが、神と人間をつなぐ唯一の、そして一方的な接点です。
  • 「神とせよ」の意味: **「私の言葉(律法)のみを行動の基準とし、人間の感覚や感情、目先の利益といった流動的なものを行動の基準としてはならない」**という、行動原理の絶対性を確立しています。

3. 🛡️ 排他性と絶対性

遠くから圧倒的な力で一方的に言葉を与える行為は、神の唯一性絶対的な権威を強調します。

  • 偶像の否定: 周囲の多神教で祀られていた神々は、しばしば人間の形や動物の形で表され、豊穣や戦いの道具として用いられました。モーセの神は、そのような人間との近しい関係や道具化を拒否し、**「私の言葉以外に絶対的なものは存在しない」**と宣言しています。

したがって、モーセの戒律の第一の掟は、**「私を神とせよ」という命令を通して、「目に見えず、超越的で、その言葉のみが絶対的な規範である存在を、あなたの世界における唯一の行動原理とせよ」**という意味を込めている、と解釈するのが最も適切でしょう。


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